じゃが芋の花・疎水・小袋

罹病後に今までになくとても強く感じたことがあり、少しずつ書き進めているがまだ纏まりのつかない原稿がある。「梗塞の片鱗も認められない」などというコメントを頂いたりするものだから、余計に原稿が進まない。 昨日は今やただ一人の叔母となった父の末妹を訪ねてしばらく語らった。入院などしてしまい心配をかけたと、詫びる訪問のつもりだったが、多くは彼女の「身体の衰えや不調の嘆き」を聞いて過ごした。

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皐月晴れ

庭先の皐月が咲き始めている。ヒラドツツジと違い、一斉に咲くというわけではないのだが、順々に咲き揃い花盛りも近いようである。

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戦争を知る世代

昭和17年から昭和20年までの、最後の戦前生まれ世代は今や七十代半ばである。それ以前の戦争を知る世代が少なくなってきた今は、最後の戦争世代とも云える。現実に戦争は何も知らない世代だけれど、父親や叔父や時には兄が出征しており、母や姉が銃後で苦労した経験を生々しく伝えられた世代である。

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山法師咲く朝に

現役を退いてから十年、生活習慣は以前から朝型ではあったが、消灯時間午後九時の入院生活はさらに朝型に変えてしまった。朝は四時前に起床し、顔を洗いコップ一杯の水を飲み焙じ茶を喫する。水を飲むのは大腸の蠕動運動を促すためである。脳梗塞を発症してからトイレでの過剰なイキミ行為は厳禁であるから穏やかな排便は必須アイテムなのである。

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「お伝えします」

我が病症については、SNSでも「鄙からの発信」に於いても何も伝えずにおこうと一度は考えた。しかしながら、SNSでは沈黙が当然のことであるにしても、「鄙からの発信」では備忘録としても記述するべきと考えた。最近は読者数も減っているようだから、何ほどの反響もあるまいと考えたのである。

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退院その後

04/21よりほぼ二週間の入院を経て、05/03に退院後の経過を記しておく。後と云うには間を置かないものではあるが、これも記録である。後遺症で記憶が薄れたり途切れたりするやも知れず、その確認の意味も含めている。

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鄙里は緑なりき-2

04/25(水)入院して五日目になる。いささか退屈になってきたと云うことは、回復の兆しが見えてきたと云うことだろうが、まだ口は回らないし水はストローがないと上手く飲めない。

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鄙里は緑なりき-1

近頃は友の病気見舞いを記事にすることも多く、いつかは我が身にもと云うよりも、我が身に訪れる時が日ごと夜ごとに近づきつつある予感がしていたのである。2018/04/12 大阪造幣局・桜の通り抜けに行った折のこと、不動産鑑定士にあるまじき方向音痴を露呈し道に迷ってしまった。現役を離れて八年、今自分が何処にいるのかさえ判らなくなる始末で、同行した家人からは認知症発症を疑われる有様だった。今にして思えば、これもG.W.を病床に過ごす予兆の一つだったのである。

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日本地図のもう一つの見方

視点を変えて見る重要さを知ると云う意味で、日本地図の角度を変えることを勧めてみたい。角度を変えて日本地図を眺め直してみると、全く違った景色が見えてくる。

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田翁孤り嘯く

鄙里の雑木林が笑う季節になった。”山わらう”は春の季語である。郭熙の画論『臥遊録』の「春山淡冶にして笑うが如く、夏山蒼翠にして滴るが如く、秋山明浄にして粧うが如く、冬山惨淡として眠るが如く」に拠るとされている。鄙里の雑木林もこの季節には笑うのである。

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