白い花

我が鄙里で白い花といえば、ヤマボウシ、ミカンそしてオオヤマレンゲである。山法師と蜜柑が咲いた。大山蓮華はまだ蕾も小さい。《他にも、石斛、梔子、夏椿、夾竹桃などもあるが、それらは皆夏の花である。》

続きを読む «白い花»

カテゴリー: 四季茫猿 | コメントする

母の日は母の命日

五月晴れの朝、陽光に照らされて眩しく光る新緑が、涙が出るほどに美しく思われ撮ってみたのだが、レンズを通せば並みの新緑だ。カメラの性能なのか我が腕のせいかと、暫し腕を組む。

続きを読む «母の日は母の命日»

カテゴリー: 四季茫猿 | タグ: , | コメントする

父のシンビジウム

2010年の12月に亡くなった父が遺したものに”シンビジウムの鉢”が、確か12鉢あった。亡くなった翌年だったと思うが、株を分けたり鉢を入れ替えたりして管理を続けてきたものの、幾鉢かが枯死してしまい、今は五鉢を残すのみである。

そのいわば枯れ残った五鉢のなかの一鉢がようやくに花芽をつけた。此度の十連休にやって来る孫たちに見せたいと思ったが、彼女らが鄙里に居るうちに花開くことはなかった。同じように幼樹を植えてから三年目にして多くの花を咲かせた桜桃も彼女たちにサクランボ狩りを楽しませるには間に合わなかった。そんなこんなの「平成から令和への十連休てん末」である。

続きを読む «父のシンビジウム»

カテゴリー: 茫猿残日録 | タグ: , | コメントする

車遍歴の顛末

04/20 に池袋で87才男性が運転する車が横断歩道で31才と3才の母子をはねて死亡させるという痛ましい事故が起きた。事故直後に元工業技術院院長氏は「アクセルが戻らなくなった」と詰まらない言い訳をしていたそうだが、車に不具合は認められずアクセルを踏み誤った事故とみられている。道路縁石に接触した後、数秒間で約150メートルも暴走(動転の余り茫然自失状態?)、ブレーキを踏むことなく速度を落とさないまま横断歩道に突っ込んだ模様である。

続きを読む «車遍歴の顛末»

カテゴリー: 茫猿残日録 | コメントする

葉桜とマンゴ

初夏を思わせる陽射しのなか、すっかり葉桜となった鄙ザクラの下で草むしりをしていて、ふと母の最後の花見が気になった。母の旅支度日記を開いてみると、4/8と4/10の記録に短い会話が残されていた。

続きを読む «葉桜とマンゴ»

カテゴリー: 四季茫猿 | コメントする

苗物の補植

補植というよりはほぼ植替えである。せっかく早めに植えて早く収穫をと考えた苗物が、04/04の遅霜でほぼ全滅した。その苗の植替えである。芽を出し始めたじゃが芋も大きく損傷したけれど、どうやら新しいを芽を出しつつある。

続きを読む «苗物の補植»

カテゴリー: 四季茫猿 | タグ: | コメントする

鄙里の御衣黄桜

長崎と平戸の旅を終えて帰りきた鄙里は、まだ桜が残っていた。伊吹山も薄く雪化粧していた。花冷えというには寒すぎる気象である。畑を見廻っていたら御衣黄桜が咲いているのを見つけた。

続きを読む «鄙里の御衣黄桜»

カテゴリー: 四季茫猿 | コメントする

日本最西端の駅

日本最西端、松浦鉄道「田平平戸駅」を訪ねてきた。最北端の稚内駅へは2012.08.02、最東端の東根室駅へは2012.08.05、最南端の西大山駅へは2016.12.14に訪ねている。鉄道駅の範疇からは外れるかもしれないが、ゆいレール日本最西端の那覇空港駅、最南端の赤嶺駅へは2013.11.22に訪ねている。2017.12.20の路面電車全線踏破に続き、東西南北端の四駅全て踏破できた。

続きを読む «日本最西端の駅»

カテゴリー: 茫猿の旅日記 | コメントする

令和の変

新元号”令和”は後々の世において、「令和の変」として語り伝えられることであろう。新元号は史上初めての国書典拠(730年頃)と囃されているけれど、一部のマスコミやネット世界では後漢の詩人張衡(78~139)の「帰田賦」に典拠とか、書聖・王羲之の「蘭亭集序」(353年)典拠などと喧しい(かまびすしい:騒々しい)。

安倍内閣は初の国書典拠などと浮かれているが、元号制そのものが中国古代王朝に由来するものであり、元号を表す”漢字”は名の如く”漢”(中国古代王朝)より到来するものであることをお忘れなのである。

続きを読む «令和の変»

カテゴリー: 茫猿の吠える日々 | コメントする

令和の背後に意味するもの

新元号「令和」の背景と云うか背後を改めて考えさせられる文章に出会った。「”令和”から浮かび上がる大伴旅人のメッセージ(品田悦一)」である。新元号「令和」の典拠が「万葉集 巻五 梅花歌32首の序」(730年頃)にあり、それは文選に収められる後漢の詩人張衡(78~139)の「帰田賦」を参照とする。そう理解していた。

しかし、品田悦一氏によれば「しかじかのテキストが他のテキストと相互に参照されて、奥行きのある意味を発生させる関係が注目される。万葉集の「梅花歌」序は種々の漢詩文を引き込んで成り立っているが、もっとも重要かつ明確な先行テキストとして書聖・王羲之の「蘭亭集序」(353年)の名が早くから挙げられる。」と述べる。
「”令和”から浮かび上がる大伴旅人のメッセージ」

続きを読む «令和の背後に意味するもの»

カテゴリー: 茫猿の吠える日々 | コメントする